みかんの日々日記

日常のことを綴っています

出産したときの事

なんとなく周りでいろいろおめでたい話題が多いので、ショウやコタの出産の時の事を思い出してしまう事がよくあります。
そんなわけで、今日は思い出話「出産編」
ショウの時。
予定日は11月19日。
そう、ショウは予定日ぴったりに生まれて来ました。
母子手帳の「妊娠期間」の欄にも「妊娠40週0日」の記録。
しかしそれまでに私の方は大変だったのです。
入院したのは11月16日の深夜。
最後に検診を受けたのは13日。
そのときは全然まだ生まれないと言われ、予定日よりも遅いかもねと言われたのでした。
その次の日にすぐ少量のおしるし(出血)。
でも陣痛あるいは破水しなければ大丈夫と聞いていたので、「まだ生まれないって言われたし。でもそろそろなのかな〜」とドキドキ。
少量の出血が続いて16日、少々多めの出血があり、陣痛と思われる定期的な痛みが少しずつ続いて来て、深夜には10分おきに。
その時点で病院に電話をかけ、すぐ入院の支度をしてくるように言われ、小雪の振る中、旦那の運転で病院へ。
このときはまだ道路には雪は全く積もってはいませんでした。
病院に入り、内診を受けると3センチほど開いて来てるという事で、そのまま入院。
病室の方に荷物を置き、必要なものだけ持って陣痛室に入る。
しかしこの時点ではまだ余裕。
テレビなど見つつ、陣痛が強まってくるのを待つ...でも、強まってこない...っていうか、感じないときも結構あるんですけど...。
何時間かおきにNST(陣痛の強弱や波などを見る機械)やドップラー(赤ちゃんの心音を確認する機械)をするが、強まっては弱くなって消えて行き、どうやら長引きそうな様子。
それでも赤ちゃんが元気なので、そのまま様子を見る事に。
慣れない陣痛室のベッドは暑くて眠れず、それでも初産だし時間がかかるものなのだろうと思っていました。
次の日になっても状態は変わらず。
それでも少しずつは進んでいるようなので、このままもうしばらく様子を見ましょうと言われる。
陣痛はあったりなかったり。
眠れないので、進まないのかなとあちこちふらふらしてみるも、このときの病院には売店もなく、本当にただ歩くくらいしかする事がないのでだんだん退屈してくる。
それでも、陣痛は少しずつ強まって来て、なんとなく近づいているような感じはある。
痛みが強まって余計に眠れず。
次の日、やっと5センチまで開いてくる。
ここまで来るとかなり痛みは強い。
5分おきくらいにやってくる痛みはだんだん疲れもあってのがせなくなってくる。
それでもまだまだ生まれないと言われ、気持ちが限界になり、「つらいよ〜」と旦那に泣きつく。
そのときベテランの助産士さんが入って来て「まだまだこれからなのに、お母さんが泣いててどうするの!」と怒られる。
じゃあ代わってくれよ!と言いたいのをぐっとこらえる。
夜になって、陣痛の波間を縫ってトイレに行った後、ベッドに戻ろうとしたら、破水。
そこからは鬼のような痛みがやってくる。
もう生まれるだろうと思ったら「8センチ。まだまだね。朝までかかるよ。」とまさに鬼の言葉。
また泣きたくなってくる。
ひっきりなしに痛みが来る。
痛さに耐えられず、吐き続け、食事すら食べられなくなる。
ふ〜ふ〜と息を吐きながらのがし続ける事何時間かでやっと「もういいわね。分娩室に移りましょうか。」と待ちかねていた言葉が聞こえた。
しかし、この時点で痛みはピーク。
去ったと思ったら、またすぐやってくる痛みに耐えながら、歩いて自力で分娩室まで行き、自力で分娩台に上がらなくてはならないのだ。
やっとのことで分娩台にあがり、ふ〜ふ〜といきみ逃しをする。
カバーを付けたり、助産士さんが術衣を着たりゴム手袋をはめたり、いろいろ用意が長〜い!
安産の人ならこの間に生まれちゃうんじゃないかと思うほど長い時間の後、使い捨ての白衣(薄い水色だったけど)と帽子を付けた旦那がやっと中に呼ばれる。
「はい!痛みが来たらいきんでいいですよ〜」と言われたものの、それまでずっとのがしてくる方に神経集中してたのに、いきなりいきめって言われてもできるもんじゃない。
しかも私は定期的な陣痛がこないのでタイミングがつかめない。
それでもなんとかがんばって3度目か4度目にスルリッと楽になる。
「生まれましたよ〜」の言葉に私が返した言葉は、「やっと出た〜」でした。
感動まるでなし!
分娩所要時間、まさかの33時間40分。
普通の人の倍かかりました。
その後の検診で、院長に「無事に生まれて良かったねぇ。もう少しかかりそうだったら切ろうと思ったんだけど。」と言われました。
もう少し早い段階で決断してください。
出産コタ編はまた明日にでも。